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君の膵臓をたべたい その2 [読書]

『君の膵臓をたべたい』2回目を読み終わって。

いろいろな方のレビューを読んだりして楽しんでみました。

皆様わりと伏線の回収や表現について今ひとつと思ってらっしゃるということがわかって、へーそうなのかぁと思いました。

立派な小説家さんになると、撒いた伏線は全回収し、その全てに意味があったりするんでしょうかね?
まぁ、確かにそんな小説家さんの作品を読んだこともありますし、なるほどと思ったりもしましたが、技法としてのうまさと作品の面白さはまた別の話なので、自分はこの作品に関しては、変に全てに意味が無くて良かったかなと思ったりもしています。

よく言われてる『自殺用のロープ』のこと。
自分的解釈では、これはヒロインの心の揺れと主人公との触れあいのための小道具でだったのかなと考えました。このロープを買って以降、主人公がヒロインの心の中を占める割合がどんどん大きくなっていっているので、仮に途中で最期を迎えなくても一緒に買い物に行った時点でその役割を終えていたのではないかと邪推しています。まぁ、主人公も自殺用ロープのいたずらの行方は気にしていたみたいなので、人付き合いのいいヒロインなら何かしら結果を残してくれたかもしれませんが、確かめる術はありませんね。

表現については、笑い方、泣き方などの表現でひいたと言われる方が多かったような気がします。
これについては、技法次第でもっといい表現が出来たかもしれないんでしょうが、自分の場合は、主人公とヒロインのキャラが頭の中でたってしまっていたので、表現の方向性だけもらって、脳内変換してました。
表現技法も素晴らしい小説なら、そんな脳内変換をかまさなくても、いい表現ができたのかもしれないですが、むしろ、それが出来ないことで素直さというか作家さんの若さが作品の登場人物の若さにつながっているような感じがして、自分としてはありかなと思ったりしてます。
とくに、主人公に生きていてほしいと言われた後の「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」のところが好きだったりします。

でも、同じ小説を読んでも、賛否両論いろんな受け取り方があるのはやっぱり面白いですね。
最初は批判的なレビューを読んで「そんなことはない」とか思ったりもしていましたが、批判があるからこそ、じゃあその部分を自分はどうやって理解したのかな?と考えるきっかけになったりもしましたしね。

本でも歌でも、読んだり聴いたりしたときに頭にビジュアルが浮かぶものが自分は好きです。漠然としたモノでは無く、具体的な形が浮かんでくるような作品が。
この作品は、頭の中に登場人物のビジュアルが浮かびやすかったので、印象が強いのかもしれません。
でも、結構鮮明に理想像を作ってしまうと、映像化されたりしたら逆に世界を壊されてしまう怖さがありますね。でも、触れ合わなければ新しい発見は生まれませんから、怖がらずに楽しんでみたいですね。

作者自身はこの本はライトノベルだって言ってましたけど、ライトノベルって小説の分類は必要なんでしょうかね?ミステリーやSFなどは種類を表しているので、まぁわかるのですが、ライトノベルって分類はいったい?ヘビーノベルとかって分類はあるんでしょうかね?ライトノベルの枠の中には全ての分類が存在するような気がするんですが、2階層目以降を分類するのが面倒なので一緒くたにしちゃったとか?
まぁ、厳格な読書家ではないので、その辺はあまり気にせずにいろんな作品を楽しんで行けたらなと思います。

いま、自分的にはこの手のジャンルが流行りなので、近いうちに同じような小説を読んで感想でも書いてみようかと思ってます。
あまり同系統だけ一時的に盛り上げると、その後冷めちゃうので要注意ですが。

それでは。

IMG_0516-Edit.jpg

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